榎木孝明の近況や日々感じた事柄を文章にして、毎月更新しています。
榎木孝明

2026年6月1日 世界のトイレ事情

ウォシュレット。私はこれを文明の利器と呼んでいいのか、多少の迷いがある。カナダにはそれが未だない。もちろん日本でもほぼ全国的に完備したのは、まだほんの十数年前であるが、それが一般的となりつつある。
私が幼かった頃、夜中に行く外のボットン便所の怖さは、現代人にはわかるまい。深夜に一人で行くあの薄暗い裸電球の怖さと下からいつ手が出てくるかもしれない恐怖が、私のホラー嫌いのきっかけにもなった。雨の日や風の強い日は、恐怖で起こされて付き合わされる親も大変だったことだろう。

ボットン便所で鍛えられた私は、その後世界の辺境の地を旅する度に、あの頃の恐怖に比べたらどうってことないとつい思ってしまう。辺境の地を旅するには、3つの条件がある。
1つ、何でも食べられること。2つ、どこでも寝むれること。3つ、どこでもトイレが出来ること。である。特にこの3つ目が大方の日本人は大の苦手であろう。日本のウォシュレット世代は、旅の必携品の一つが簡易携帯ウォシュレットとなりかねない。

そもそも壁に囲まれたトイレそのものの存在がない体験も色々としている。アジアの某国の深夜列車で旅をしていた時、早朝の寝台車の窓から入る心地よい風に吹かれていた時だった。多くの現地の人々が、線路脇に程良く互いの距離を保ってしゃがみこみ、過ぎ行く列車を見ているのであった。
私は単純に、こんな朝早くからみんなでしゃがんで列車を見る風習があるのだなと、列車から見える人々と目を合わせて微笑ましい気持ちでいた。ところが、列車がスピードを落とした時に、よくよく見ると下半身が丸出しであることに気づいた。な、な、何と、早朝の線路脇の側溝が・・・。

ある風光明媚な海辺の街を旅していた時に、現地食の中でも魚料理が抜群に美味くて、連日いろいろな魚を食していた。そんなある日に、早朝散歩のついでに宿から近い浜辺に出てみた。すると日の出前の波打ち際に、大勢の人がしゃがんでいるではないか。
まさか・・・。私の予測通りであった。これが本当の水洗トイレだなどと、自分なりのジョークを考えたりもしたのだが、その日以来、魚料理が食べられなくなった。そんな旅に鍛えられて、今では私も野山だろうが海辺だろうが砂漠だろうが、大地に栄養を与えているのだと思えるようになったのである。

榎木孝明

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