榎木孝明オフィシャルサイト

コーヒーブレイク

このホームページをご覧になってくださっている皆さま、ようこそ。そして、私の活動を応援してくださっているファンの皆さま、いつもありがとう。 この『榎木孝明のCoffeeBreak』は、私・榎木孝明がその時々に感じたことや考えたことを、私なりの言葉で、インターネットを通じて皆さまへ発信するページです。

榎木孝明

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デカッ

デカッ 鹿児島の街中に映画「半次郎」のこんなデカイ看板が出現!
これは私がCM出演している「株式会社健康の森」の薩摩くろす丸の宣伝看板で、現在は半次郎バージョンになっています。
鹿児島中央駅から車に乗ると、必ず目にする場所にあります。

2010年5月下旬

美人と

美人と

鹿児島県知覧町で彼女と出会いました。
擦り寄るかと思うとツンとそっぽを向かれる。

私はどうもこのタイプに弱いようです。



2010年6月上旬




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>>過去の日記
>>『趣味悠々』
バージョン

2010年1月28日

本の虫と云う言葉がある。活字中毒症の様な状態をそう云うならば、私もその一人であると自認する。私の場合、一度に五〜六冊を併読するので持ち歩くバッグがいつも重たい。何故併読かと云うと、自分の飽き易い性格の為で、一冊を最初から最後まで一度に通して読み切ったためしが無いからである。本のジャンルも多岐に亘り、長編小説からベストセラーの話題本まで興味のあるものは手当たり次第である。それも途中で読みたくなくなると止めてしまうと云う、かなりいい加減な読書家でもある。

パソコンや携帯電話が主流になり、活字離れが目立つ時代とも言われている。しかも情報量の多さに何を選択してよいものやら、情報が溢れている状態の昨今である。ひと時代前の人々が、長年苦労して仕入れた書籍などからの知識が、今やクリックひとつで画面に飛び出す有り難い時代である。しかし我々受け手が感じるありがたみの重さの違いは、そのまま人間の厚みの違いに反映するようだ。現代の情報量の多さは、知ってるつもりの人間を増やしこそすれ、魅力的な人間を創ることとは必ずしも連動しない事を肝に銘ずべし。詰め込み型教育よりも興味本位の教えの方が、より個人の才能は伸ばされるに違いない。それが私の読書が興味本位型になったゆえんである。
私の興味の範囲ではあるが、最近読んだ本の中から何冊か紹介してみようと思う。

『リンゴが教えてくれたこと』木村秋則著(日経プレミアシリーズ)
無農薬、無肥料栽培を模索するが、十年近く収穫ゼロの苦難の道を歩む。それでも信念を曲げず、ついに完全無農薬、無肥料でリンゴ栽培に成功し、今では日本はおろか、海外からも農業指導に招かれる様になった木村秋則さんの自伝。自然には何一つ無駄は無く、自然に学びそして感謝することで奇跡のリンゴが実る感動作です。農薬と肥料に依存する農業の有り方は、様々な現代社会の縮図にも思えて来て、それが自分の生き方にもあてはまることとして学ぶことが出来る。木村さんの生き方は、問題の多い現代に差す一条の光に思えて来る。
他にも『すべては宇宙の采配』木村秋則著(東邦出版)、『奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』石川拓治著(幻冬舎)がある。

『霊的世界からの癒し』ゴードン・スミス著(徳間書店)
人間と霊界を繋ぐ媒体を英語でmediumと言います。英国のゴードン・スミス氏は、私の感じるその世界の本物の一人です。生者と死者は並行世界に居て、普段こちら側からは向こうの世界への連絡は取れませんが、彼は必要に応じてその媒体になります。彼の優しさは、世界の多くの人々の癒しに貢献しています。しかも彼はその行為にお金を取っていません。私の究極の生きる目的が、如何に世の為に生きるかと云うことですから、彼の生き方に共感を覚えます。私自身はそういう能力は全くありませんが、霊界は人間に直接手を貸すことはしなくても、暖かい目でいつも私達を見守っているのは事実だと思っています。世の中がもう少し進んで、その事実と意味が認知される時代になれば、本当の平和の空気が人類にもっと浸透するのだろうと思います。

『若き友人たちへ−筑紫哲也ラスト・メッセージ』筑紫哲也著(集英社新書)
ジャーナリストは野次馬のプロと言っていた筑紫哲也さんは、一昨年惜しまれながら亡くなりました。彼が学生達にした講演義が本になりました。彼のリベラルでいて、自分の筋を通す生き方が私は大好きでした。私は一度しかお会いした事はなかったのですが「NEWS23」はいつも見ていました。教育について好奇心と探究心を育てることが大事と言っていた彼の考えが私にも影響しているかも知れません。映画も大好きだった彼に「半次郎」も見て欲しかったです。

2010年1月28日 榎木孝明

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2009年8月13日

日本全国、様々な用事での旅を年中しているが、朝ホテルで目覚めた時、今どこに居るんだっけと薄ボンヤリした思考で一日が始まるのも良くある事だ。今は全国どこの地方都市でも、その地方の特色が景色に端的に表われる所はまれで、ホテルの窓からの眺めだけでは“この街は、どこでしょう”というクイズがあるとしたら、正解率は相当低いに違いない。

こう書いたからと言って、私が日本中の似かよった景色を決して嘆いているわけではない。今現在この文章を名古屋から関西本線の亀山へ向かう車中で書いているのだが、確かに車窓からの景色は何の変哲も無い全国どこにでもある風景の繰り返しではある。しかし目を空に向けると、西の空に何とも雄大な天使のシャワーが広がっていて圧倒される。天使のシャワーとは、雲間からもれた太陽光が作る光のカーテンの事を私がそう呼んでいるのだが、今この瞬間にそこに目を向けなかったら気付くこともなかった情景である。私はそれを目に出来た事の幸運と感謝を想うのである。何の変哲も無いと想うのは自分の心であって、目の前の一瞬の変化に気付くのも又自分の心である。心を開いて景色を見れば自然は色々なサインを出して私を楽しませてくれる。

今朝は取材で山形県の山寺に居た。ひと気のない山道を歩きながらカメラマンが私の写真を撮ってくれていた時の事、突然風があたりの木立をざわつかせ木の葉に溜まっていた露が私の回りに降りそそぎ、一瞬キラキラと陽に輝いた。ほんの数秒の出来事だったが、元の静けさに返った時、私の中には何とも言えぬさわやかな風が吹き過ぎていた。撮影が終わり、下りて来た山道を振り返った時、木々の上を風が伝わって来るのが見えて私に別れを告げてくれたと思った。

この一瞬を、自分に都合良く受け取ると言われればそれまでだが、自然が喜びを持って私に語り掛けてくれているといつも思う事にしているので、「ありがとう」と風に挨拶してその場を立ち去ったのであった。自然と仲良くなると、自然は人生かた時も私を飽きさせない。私は私で自然の為に何が出来るだろうかと考えている昨今である。

2009年8月13日 榎木孝明

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2009年6月1日

時はいつしか春も過ぎ、今年もすでに5ヵ月が過ぎました。 舞台「相思双愛」の東京公演に続き、地方での公演中です。先日は、私の故郷の鹿児島県伊佐市で上演しました。おかげ様で1200人以上のお客さまが来場してくれて、当日は立ち見が出る程に会館は満杯でした。今回の公演を主催してくれた伊佐市役所の方々に心より感謝です。久々の故郷での公演で、2001年公演の舞台「幕末2001」で中村半次郎を演じたのをなつかしく思いました。あれから8年が過ぎ、同じ会館、同じ舞台に立っている事に感慨無量でした。

最近、時の流れが夢の中の出来事の様に思えて仕方ありません。現実と夢の境い目が曖昧になり紗が懸かったようで、空気が甘い乳白色に見えて、ふと立ち止まって“時よ暫くそのままで”と云う気持になる時があります。そんな時間がいとおしくて、幸せを感じるひと時です。舞台上で演じながらも、この一瞬が過ぎてしまうのが惜しくてたまらない気持になります。こんな止(とど)め様のない時を過せている事に、充実感と満足感を覚えます。

伊佐市で私を応援して、そして喜んでくれる私の同級生や多くの市民の人々が、私に力を与えてくれます。この秋には、映画「半次郎 〜桐野利秋 風伝〜」の撮影も伊佐市で予定しています。これまで人生を重ねて来て、これ程気持が充実して来た時期に、自分の思いの丈を映画にぶつけられる事に感謝しています。人は一人で生きているのではなく、多くの人々が互いをささえ合い生きている現実を、身を持って表現出来る様な作品にしたいと思います。

あと数回で終ってしまう「相思双愛」も、まさに互いをささえ合う愛の物語なのでありました…。
過ぎ行く時を楽しもうと思います。

2009年6月1日 榎木孝明

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2008年7月21日

 シンクロニシティ(synchronicity)と云う言葉を御存知でしょうか。日本語では同時発生とか共時性とか訳されています。2つ以上の出来事が同時に生じ、意味のある関連がある様に見えていて因果関係が判明しないという現象です。私達の日常の生活でも実は頻繁に、身近で起きている現象です。それに注意を向けるか、興味を持つかすると気付く事ですが、さり気なさ過ぎて見過すことも良くあります。例えば友達に電話をしなきゃと思った時に、まさにその本人から電話が掛って来たり、駐車スペースが空いていなくて、ここに車を止めたいと思った時に、目の前の車が一台出て行ったりと、そんな事も小さなシンクロニシティの一つだと思います。
 私は、1992年に公開された、映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番』に関って以来ずっと、この言葉の意味をいつも実感させられてきました。必要に応じて人との出会いも、必要な情況も次々に整って行き、映画が完成してしまうと云う様子を何度も見させてもらっています。生きて行く上では、普段私達が思っている以上にタイミング良く正に必要な時に必要な情報が準備されていて、それに気付くか見過すかで、人生はだいぶ違って来るのではないでしょうか。

 自分が発振元になって今の自分に必要だと想った事が起きて来るなんて面白い事だとは思いませんか。但し条件があって、それは我欲のない純粋性が必要だと云う事です。金儲けの為や、名誉や権力を得る為の行為では世の中は動かせませんが、真に世の為、人の為、そしてこの宇宙の安寧の為の行動だったら、大きな見えない力が手助けをしてくれる様です。

 私はそんな思いで今の時代に忘れられている美徳と礼節を思い出してもらえる様な映画を創ることにしました。明治維新に活躍し、世の中の事を想って逝った薩摩武士を主人公にした映画です。今の世の中、何か変だぞと思っているのは私だけではないと思います。そう思いながらも何も自分には出来ないと思ってしまうことも多いでしょう。しかし私は今、自分のやれる事は何かと考えたら、世界の人々の心を動かす映画を創りたいと思う様になりました。
 何故明治維新なのかといいますと、今私が感じる何かをしなくてはと云う焦燥感が、幕末の志士達と同じだと思うからです。それに私も当時の彼らと同じように明日の時代を考えられると思うからです。私の郷里の鹿児島にはその為に命を懸けて戦った人々が居ました。西郷隆盛や大久保利通をはじめ、真剣に明日の日本の事を思い、我を忘れて今、自分がやるべき事に邁進して行った人々です。

 シンクロニシティの本領を発揮すべく、真剣に今、自分がやるべき事に意識を集中して、それにともなって起きて来る全ての現象を最大限に有効利用して行こうと思っています。

2008年7月21日 榎木孝明

 
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