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この『榎木孝明のCoffeeBreak』は、私・榎木孝明がその時々に感じたことや考えたことを、私なりの言葉で、インターネットを通じて皆さまへ発信するページです。
榎木孝明
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足湯 |
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私の地元鹿児島も温泉の多い処ですが、ここ大分はそれ以上に温泉の数があります。
歩いていると無料の足湯が至る所にあるので、ついついズボンをたくし上げてしまいます。
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旅の途中 |
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ここは無料休憩所。
囲炉裏には火が入っていていい雰囲気なので、思わず旅の途中を忘れてポーズをとってしまいました。
※この旅の模様は、2012年1月11日にテレビ東京系列『いい旅夢気分』で放送予定です。 |
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バージョン |
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2012年1月31日
2012年が明けまして、早やひと月が過ぎようとしています。
新たな夜明けは地球上のどんな場所にも訪れますが、昨年の東日本大震災で被災された方々や、福島第一原発で故郷を離れざるを得なかった方々の事を思わずにはいられません。今年はこの後自分に何が出来るか一生懸命に考えて行動に移したいと思っています。
さて「アセンション」と云う言葉が近年取りざたされて、今年はいよいよその本番の年と言われています。アセンションは次元上昇と訳されますが、私の解釈は人間の意識が変わる事でこの地球も変化していくと云うものです。
そこで私は年明けから「時代劇再生運動」を始めました。時代劇には日本人の精神文化の粋が込められています。今、時代劇の製作がどんどん失くなって行く中でもっと国に働きかけ国の輸出産業に育てて、世界に武士道精神を波及する運動を広めようと思っています。人間の意識を変える事で今の乱れた世界の状況を好転させようとの発想です。
日本人自身がその精神性の素晴らしさを認識すると、時代劇の楽しさがもっと浸透していくと思います。
今後新しい展開を次々にお知らせしますので、どうぞ楽しみにして下さい。そして共感を覚えて下さったら是非御賛同ください。一緒にこの運動に参加して下さい。あなたにもきっとあなたなりのやれる事がありますから。
2012年1月31日 榎木孝明 |
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2011年12月26日
今年は沈思黙考の年だったとすれば、来年は有言実行の年にしたいと思います。
世の中を震撼させた3.11の東日本大震災は周知のトップニュースですが、いくら科学文明が発達し便利な世の中になろうと、自然の脅威の前には人間は如何に無力かを思い知らされました。それを敢えて良い方への解釈をするならば、私達に世の常識論を再考させ、色々な価値観の変化をもたらしたと云うことでしょうか。
私達が生きる上で最も大切な事は何でしょうか。一瞬にして波に人生の全てを流される映像は、今の時代の物質主義をあざ笑うかの様でした。震災後は人と人との絆の大切さを実感させられると同時に、今の自分が被災した人々に何が出来るかを皆が考え出しました。自分以外の者に対する優しさの復権と言えましょう。この震災をきっかけに世界の多くの人々が忘れかけていた人間本来の優しさに目覚め、自分達が今後目差すべき生き方を考えるきっかけになったとすれば、この災難は決して無駄な事にはならないでしょう。多くの尊い犠牲者の為にもそうであるべきかと思います。
今年が私達にとっての前哨戦であったとすれば、来年はいよいよ本番の年。今後の地球がどんな方向に進むのかの大切な年になる予感がします。
2011年12月26日 榎木孝明 |
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2011年5月19日
今一番やりたい事は何かと問われたら、時間を気にせずに好きな本を好きなだけ読む事と答えるでしょう。今でも暇を見つけては読んでいますが、それはいつも何かをしている合間の時間に過ぎません。理想は無人島のような島か、人里離れた山の中の小さな宿に居て、読書三昧の日々を過ごす事です。
私は小さい頃から空想力だけは誰にも負けないと思って来ました。人は年を重ねて現実を知るに伴い、それは劣っていくのかも知れませんが、私の場合、幸か不幸かそれが全くありません。今でも人が想像出来る事は、将来必ず現実化出来ると信じています。子供には夢はでっかく持てと言うくせに、それを言う大人の多くの人に夢がないのは何故でしょう。夢を世間にはばからずに口に出せる境の年齢があるのでしょうか。まるで暗黙の社会通例であるがごとく、ある時から現実を良く見ろと夢を打ち砕くのもまた、大人です。
昨今、世界中の情報がテレビやインターネットなどで瞬時に届く時代になり、私達の生き方に良くも悪くも多くの影響を与えるようになりました。しかし情報が余りにも多く早過ぎる為、生きる上での自分の血となり肉となる前に、次の情報に押し流されてしまいそうです。時の流れのスピードアップは今さら止めようもないのかも知れませんが、そんな今だからこそ、時々立ち止まって軌道修正をする必要性を感じます。
私にとって“本を読む事”は自分時間の再確認であると同時に、夢の続きを見させてくれる事でもあるのです。いつかは読書三昧の日々の夢も実現するでしょう。そしてその先の私のもっと大きな夢の実現も・・・。
2011年3月6日 榎木孝明
※この文章は2011年3月6日に執筆したものです。 |
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2011年4月1日
2011年3月11日午後2時46分、私達人類が恐れていた事が現実となりました。
マグニチュード9.0という日本の観測史上最大の数値を記録する地震が東日本を中心に起き、その後の震災の大きさは周知の通りです。この震災で犠牲になられた方々とご遺族の皆様に深くお悔みを申し上げますとともに、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
皆様にはお身体を大切に一刻も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
私は、以前からここに記してきた様に「私達は地球人」だという考えをしています。そんな考えの私からすると、今回の地震に限らず、霧島の新燃岳の大噴火やここ何年かの気候の変動は、全て地球からの我々人類への警鐘であると解釈しています。これらを単なる自然災害と受け取るか、警鐘と受け取るかでは全く意味が違います。ガイア理論(*1)とは、この地球は一つの生命体であるとの捉え方です。永い地球の歴史には、今の私たち人類以前の太古にも幾つもの文明が起きては滅びて来た経緯がありました。私達人類が滅びたら地球は又元の姿に還るのでしょう。地球の本来の歴史とはそう云うものなのだと思います。
ですが、文明の発展は私達に大いなる勘違いをもたらします。地球は自分達の為にあるものと云う勘違いを。46億年の永い地球の歴史から見れば、私達の生きる歴史は余りにも短くアッと云う間の出来事だと解るはずですが、目の前の現象で生きる私達は傲慢になってしまうのも仕方の無い事かも知れません。
我が世の春を生きる私達に“そろそろ目覚めなさい”との警鐘を、地球が時々私達に与えてくれるのです。それでも気付かずに戦争をしたり、環境破壊をくり返したり、個人の利を貪り続けたら、いよいよ地球は私達人類を滅ぼす方向に始動するでしょう。今後起きる災害の規模はもっと大きくなる可能性があるわけです。
そんな呼びかけに私達が気付いて新しい生き方にシフト出来るか、それとも今までの延長で物質文明の中で生き続けるのかの選択を今、正に求められる時代になったのではないでしょうか。
今回の未曾有の災害とまでいわれ多くの犠牲をともなったこの出来事をしっかりと受け止め、そして私達人類すべての人が気付き、目覚め、最も大切な命の事を真剣に考える時ではないでしょうか。
物質文明から精神文明への移行を、生きて行く上の最優先課題とする事で多くの問題が自ずと解決して行くでしょう。大切な人を想う事。他を思いやる事。足りる事を知る事。物を持つむなしさを知る事、等々。
「人の意識がこの世の現実を創る」というのを私は信じて来ました。
最終的に私達人類を救えるのは科学でも宗教でもなく私達自身が己の意識を変える事が唯一無二だと私は思います。未だ日本各地で震災の影響により苦しんでいる方、懸命に尽力している方がいる状況ではありますが、あえて私を含め地球に生きる人々へ私の感じる事を伝えたくここに記します。これから続くであろう明るい未来の為に・・・。
2011年4月1日 榎木孝明
*1)ガイア理論・・・英国の科学者ラブロック氏が提唱『自然と生物が相互に影響しあい地球という惑星が一つの生命体として活動している。』という考え方。 |
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2011年2月18日
「好き」と「嫌い」。この二つの言葉を生活の中で口に出して生きている人は、意外と少ない気がします。食べ物、服、音楽、人、街、国等好きか嫌いかと問われれば、辛うじて食べ物や音楽位は個人の好みで好き嫌いを言えても、スーツを着てネクタイをしめるのは嫌いでもそれが社会の制服(常識)だし、上司が嫌いでも勝手に部署は変われないし、この国が嫌いだからと言って全てを捨てて国外へ出る程の勇気は無いし…と、人は多くの我慢を強いられているのが現状ではないでしょうか。
自分は人生、好きに生きてきたと豪語する人も少数派で居ますが、学生時代は勉強が嫌いだからと何もしなかったかと聞くと、いやいやながらでも受験勉強をして大学に行っている処を見ると、純粋に好き嫌いという想いを貫いて生きて来た人は皆無に近いのかも知れません。最近、嫌いと思っていてもそれを口に出せない環境にある国に生きている人々の事を想います。
中東のアラブ諸国では民衆の嫌いという想い(我慢)も限界に達して、まさに今、国の体制が大きく変わろうとしています。独裁者や一党独裁の体制はその恩恵に浴する者とそうでない者が明確になる分、格差社会が貧困の差を生み、抑圧された者の不満が溜ると云う図式です。情報操作が罷り通っていた時代には民衆は蚊帳の外に置かれていたのでしょうが、ここまでインターネットが世界的に普及し、誰もが様々な情報を得ることが出来る様になると、真実が隠しようのない時代になって来ます。そして武力による鎮圧も世界の目が抑止力となって、行使は放棄せざるを得ないのも又ネット社会の力と言えるでしょう。
今後、民主化は圧倒的な速さで世界を席巻するでしょうが、それに伴い次の新たな問題も急増するに違いありません。例えば環境破壊と資源の枯渇は、自国の権利を主張し国益云云と言い出したら、もしかすると戦争の火種にもなりかねません。日頃、私が想い続けている事である「日本人である前に地球人」という意識を持って、地球は一つ、我ら地球人と云う意識に目醒められるかどうか、ここ一、二年で“地球の運命”が決まる−そんな予感がする昨今です。
今の世界の変化を自分も地球人の一人であるとの視野から観たいものです。
2011年2月18日 榎木孝明 |
2011年1月28日
2011年も無事に幕を開け、早くも1ヶ月が経ちましたが皆様如何お過ごしですか。
“一年の計は元旦に有り”などと言って気持ちを新たにするのが新年のはずですが、ここ数年来の正月はどうもその覚悟の程が大分薄れて来ている様に思います。それも私個人だけがそう思うのではなく、世の中全体がその傾向にあるのを感じます。
私の小さかった頃の郷里・鹿児島の正月を思い出しますと、我が家の年の暮れは家族で家の内外の大掃除をして一年間の汚れを落とし、障子を張り替え、雪の少ない鹿児島では白砂(しらす)を山から取って来て、雪に見立てて庭に蒔きます。白くするのはお浄め(きよめ)の意味もあります。臼と杵で餅をついて、鏡餅を供え、門松を立てます。 大晦日の夜には決まって紅白歌合戦を見ながらすき焼きです。普段台所には入らない父親ですが、この日ばかりは鍋奉行です。母親はおせち料理に掛かり切りで紅白を見る余裕もありません。除夜の鐘が聞こえて来ると蕎麦を食べて、その後家族中で厚着をして近くの若宮神社に初参りです。すれ違う近所の人々と新年の挨拶を交わします。懐中電灯の光の輪に雪がちらほら舞ったりすると、子供の頃は嬉しくて気持ちが高揚したものです。
年明けには皆で晴れ着を着て食卓を囲み、明けましておめでとうございますの言葉を交わした後、父親から一人ずつ今年の抱負を聞かれお年玉をもらいます。そして雑煮を頂き、おせち料理に箸を付けます。元旦から数日間の我が家には親類縁者や、教師をしていた父親の教え子達がわんさかと新年の挨拶に集まり、人々の出入りの度にお年玉が増えて行くと云う子供時代の私にとって夢の様な正月が続きました。(笑)
こうして厳かで敬虔な祈りで迎える新年には、新たに始まる一年の覚悟が有りました。今そんな情景を思い出しながら筆を走らせていると、涙が出そうな懐かしさを覚えます。そんな風習もだんだん廃れて来て、『元旦の決意』も曖昧な年明けを寂しく思うのは、昔を知る者の感傷でしょうか。せめて、日本の文化の素晴らしさは日本人の心の豊かさに繋がるのだと、語り継げる一人でありたいと思います。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。 2011年1月28日 榎木孝明 |
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2010年8月30日
先日「ルビコンの決断」と云う番組で日本式コンビニを創った人、鈴木敏文氏を演じさせてもらいました。今から四十年程前の日本にまだコンビニエンスストアーのなかった時代、アメリカのセブンイレブンを日本に紹介した鈴木氏とその仲間達の物語です。
昭和四十年台後半、高度経済成長期を過ぎた日本は大量生産、大量消費の時代を迎えて大手のスーパーマーケットが急成長を遂げつつある時代でした。コンビニの様な小さな店の業態にまだ誰も関心を持っていない時代の中で今後、必ずコンビニは日本社会に受け入れられるはずだとの信念のもとで、鈴木氏は手さぐりで店創りを始めました。それもアメリカの真似ではなく日本流を求めて。何事も初めての物事には異を称えるのが世の常で、自分の意志を貫く情熱と信念が新しい物を生み出して行きます。前にも書きましたが、私達の身の回りの多くの常識は、ひと昔前に誰かが言い出した非常識が多くの人々に認知された事で常識化した物です。今回の主人公鈴木氏もたくさんの悩みと苦労があった末に、今ではコンビニは全国どこにでもあるのが当然と云う常識化に成功しました。鈴木氏らの努力の結果、今ではアメリカのセブンイレブンをも日本の傘下に収めると云う快挙も成し遂げられました。
さて時代は次にどんな方向へと向かうのでしょうか。私の個人的希望は大量生産、大量消費をそろそろ卒業して、限りある資源を大切にした“足りる”と云う意識に目覚める時代になって欲しいと思っています。人間の無限の欲望が便利さを求めて新しい物を生み出し、今日まで文明を発展させて来たのは事実ですが、地球と云う大きな存在に生かされて来たと云う感謝の心にそろそろ辿り着いても良い頃ではないでしょうか。地球環境を破壊するのは自分だけが良くなりたいと云う人間の欲望の結果に他なりません。せっかく自分の意識を宇宙を想えるレベルにまで拡大出来る時代になって来たのですから、個から他の為に生きる意識にシフトしようと私は思っています。自分の人生も既に後半戦に入りましたがから、人の為そして地球の為に何が出来るかをいよいよ本格的に具体化して行こうと思います。
その第一弾が映画「半次郎」の製作です。無私に生きた明治の男達を現代に甦らせる事で、日本人が本来持っている誇りある生き方と潔さについて考えるきっかけになれば良いと思います。残念な事に今の日本に最も欠けている一つがそこだと思います。今の文明を存続させるのも滅ぼすのも、私達一人一人の意識次第と云う時代が始まったようです。
2010年8月30日 榎木孝明 |
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2010年1月28日
本の虫と云う言葉がある。活字中毒症の様な状態をそう云うならば、私もその一人であると自認する。私の場合、一度に五〜六冊を併読するので持ち歩くバッグがいつも重たい。何故併読かと云うと、自分の飽き易い性格の為で、一冊を最初から最後まで一度に通して読み切ったためしが無いからである。本のジャンルも多岐に亘り、長編小説からベストセラーの話題本まで興味のあるものは手当たり次第である。それも途中で読みたくなくなると止めてしまうと云う、かなりいい加減な読書家でもある。
パソコンや携帯電話が主流になり、活字離れが目立つ時代とも言われている。しかも情報量の多さに何を選択してよいものやら、情報が溢れている状態の昨今である。ひと時代前の人々が、長年苦労して仕入れた書籍などからの知識が、今やクリックひとつで画面に飛び出す有り難い時代である。しかし我々受け手が感じるありがたみの重さの違いは、そのまま人間の厚みの違いに反映するようだ。現代の情報量の多さは、知ってるつもりの人間を増やしこそすれ、魅力的な人間を創ることとは必ずしも連動しない事を肝に銘ずべし。詰め込み型教育よりも興味本位の教えの方が、より個人の才能は伸ばされるに違いない。それが私の読書が興味本位型になったゆえんである。
私の興味の範囲ではあるが、最近読んだ本の中から何冊か紹介してみようと思う。
『リンゴが教えてくれたこと』木村秋則著(日経プレミアシリーズ)
無農薬、無肥料栽培を模索するが、十年近く収穫ゼロの苦難の道を歩む。それでも信念を曲げず、ついに完全無農薬、無肥料でリンゴ栽培に成功し、今では日本はおろか、海外からも農業指導に招かれる様になった木村秋則さんの自伝。自然には何一つ無駄は無く、自然に学びそして感謝することで奇跡のリンゴが実る感動作です。農薬と肥料に依存する農業の有り方は、様々な現代社会の縮図にも思えて来て、それが自分の生き方にもあてはまることとして学ぶことが出来る。木村さんの生き方は、問題の多い現代に差す一条の光に思えて来る。
他にも『すべては宇宙の采配』木村秋則著(東邦出版)、『奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』石川拓治著(幻冬舎)がある。
『霊的世界からの癒し』ゴードン・スミス著(徳間書店)
人間と霊界を繋ぐ媒体を英語でmediumと言います。英国のゴードン・スミス氏は、私の感じるその世界の本物の一人です。生者と死者は並行世界に居て、普段こちら側からは向こうの世界への連絡は取れませんが、彼は必要に応じてその媒体になります。彼の優しさは、世界の多くの人々の癒しに貢献しています。しかも彼はその行為にお金を取っていません。私の究極の生きる目的が、如何に世の為に生きるかと云うことですから、彼の生き方に共感を覚えます。私自身はそういう能力は全くありませんが、霊界は人間に直接手を貸すことはしなくても、暖かい目でいつも私達を見守っているのは事実だと思っています。世の中がもう少し進んで、その事実と意味が認知される時代になれば、本当の平和の空気が人類にもっと浸透するのだろうと思います。
『若き友人たちへ−筑紫哲也ラスト・メッセージ』筑紫哲也著(集英社新書)
ジャーナリストは野次馬のプロと言っていた筑紫哲也さんは、一昨年惜しまれながら亡くなりました。彼が学生達にした講演義が本になりました。彼のリベラルでいて、自分の筋を通す生き方が私は大好きでした。私は一度しかお会いした事はなかったのですが「NEWS23」はいつも見ていました。教育について好奇心と探究心を育てることが大事と言っていた彼の考えが私にも影響しているかも知れません。映画も大好きだった彼に「半次郎」も見て欲しかったです。
2010年1月28日 榎木孝明 |
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2008年7月21日
シンクロニシティ(synchronicity)と云う言葉を御存知でしょうか。日本語では同時発生とか共時性とか訳されています。2つ以上の出来事が同時に生じ、意味のある関連がある様に見えていて因果関係が判明しないという現象です。私達の日常の生活でも実は頻繁に、身近で起きている現象です。それに注意を向けるか、興味を持つかすると気付く事ですが、さり気なさ過ぎて見過すことも良くあります。例えば友達に電話をしなきゃと思った時に、まさにその本人から電話が掛って来たり、駐車スペースが空いていなくて、ここに車を止めたいと思った時に、目の前の車が一台出て行ったりと、そんな事も小さなシンクロニシティの一つだと思います。
私は、1992年に公開された、映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番』に関って以来ずっと、この言葉の意味をいつも実感させられてきました。必要に応じて人との出会いも、必要な情況も次々に整って行き、映画が完成してしまうと云う様子を何度も見させてもらっています。生きて行く上では、普段私達が思っている以上にタイミング良く正に必要な時に必要な情報が準備されていて、それに気付くか見過すかで、人生はだいぶ違って来るのではないでしょうか。
自分が発振元になって今の自分に必要だと想った事が起きて来るなんて面白い事だとは思いませんか。但し条件があって、それは我欲のない純粋性が必要だと云う事です。金儲けの為や、名誉や権力を得る為の行為では世の中は動かせませんが、真に世の為、人の為、そしてこの宇宙の安寧の為の行動だったら、大きな見えない力が手助けをしてくれる様です。
私はそんな思いで今の時代に忘れられている美徳と礼節を思い出してもらえる様な映画を創ることにしました。明治維新に活躍し、世の中の事を想って逝った薩摩武士を主人公にした映画です。今の世の中、何か変だぞと思っているのは私だけではないと思います。そう思いながらも何も自分には出来ないと思ってしまうことも多いでしょう。しかし私は今、自分のやれる事は何かと考えたら、世界の人々の心を動かす映画を創りたいと思う様になりました。
何故明治維新なのかといいますと、今私が感じる何かをしなくてはと云う焦燥感が、幕末の志士達と同じだと思うからです。それに私も当時の彼らと同じように明日の時代を考えられると思うからです。私の郷里の鹿児島にはその為に命を懸けて戦った人々が居ました。西郷隆盛や大久保利通をはじめ、真剣に明日の日本の事を思い、我を忘れて今、自分がやるべき事に邁進して行った人々です。
シンクロニシティの本領を発揮すべく、真剣に今、自分がやるべき事に意識を集中して、それにともなって起きて来る全ての現象を最大限に有効利用して行こうと思っています。
2008年7月21日 榎木孝明 |
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